#03-2. 沖縄本島でのぶらり旅を楽しむ(2)…首里城訪問編
[世界遺産 首里城”正殿内”「大庫理(ufugui)」]
マイ・ビジネスの日程変更+調整となったことで、空いた日を狙い”電撃沖縄訪問”したときのオハナシpart2…
今回のお話はちとつまらんかも…
守礼門(Shurei-mon)…
更に、別の角度からパシャリ!!(↓)
‘守礼門’は尚真王時代(1527~1555)、創建。
扁額(hengaku)の「守禮之邦(Shurei-no-kuni)」は、「琉球は礼節を重んずる国である」という意味だそうだ。
※扁額:門戸に掲げる横に長い額を指します。
沖縄’首里城’といえば、有名な観光スポットなのだが…
なんと不思議なことに観光客が写っていない!!!
Σ( ̄□ ̄;)ナヌッ
当日も、多くの人たちが訪れていて、この写真を撮影するのには大変苦労しました。
とはいえ、これらのように人が誰も居ないと言うのはほとんどありえません。
さて、一体どのように撮影したのでしょうか?
首里城管理センター前の「首里杜館(suimu-kan)」地下駐車場(大型車:940円、小型車:310円)に車を停め、まずは’守礼門’に向かうことになる。
総合案内所で、資料(パンフ)を何種類かもらい、ワクワクの首里城探検が始まったのだ。
o(≧▽≦)o
ゆるやかな坂道を登るとまず目に付くのが守礼門。
2千円札にも描かれていることでも有名。
2000年というミレニアムを記念するのと同時に、この年沖縄でサミットが開かれたことも併せ発行された。
でも、最近二千円札全然みかけなくなったね…
Σ( ̄□ ̄;)ガ~ン
まあ、それはそれで良しとして、順路に沿って足を進める。
歓会門…
首里城”城郭”へ通ずる正門で、歓会門(kankai-mon)と呼ばれるそうです。
第二尚氏尚真王(1477~1526)に創建されたといわれています。
[沖縄戦で消失、1974年(昭和49)に復元]
パンフの情報を元に更にお伝えすると…
中国皇帝の使者”冊封使(sapposhi)”など、訪れる人への歓迎の意を込めて名前が付けられたそうです。
琉球王国の人って、平和と友好を重んじたんだね。
ほんとうは違うんだけど、イメージとして”冊封使”とは江戸時代の慶賀使のようなものとお考え下さい。
新国王が誕生すると、中国から冊封使と呼ばれる皇帝の使節が来琉し、その就任を「認める」儀式が執り行われたそうです。
瑞泉門…
瑞泉門はzuisen-monと読む。
‘瑞泉’とは「立派なめでたい泉」という意味で、門の前(階段中頃右に階段で降りていくところ)にある湧き水’龍樋(ryuhi)’にちなんで名づけられた。
‘龍樋’は、国王一族の大切な飲料水だったそうです。
今でも湧水として出てくる水は、龍の口から流れ出ており、当時の雰囲気が感じられます。
是非、一度覗いてみてください。
こういう素晴らしい景観の中に観光客が写りこむとどうも価値観が薄まるように思い、ここでも頑張っちゃいました。(笑)
なっ、こういう写真もいいやろ。(笑)
階段を1段1段上り、瑞泉門をくぐる。
すぐに左手に進む(順路)わけだが、次に現れる門が’漏刻門(rokoku-mon)’…
漏刻門…
櫓(yagura)の中の水時計で時刻を計ったことで名づけられた門。
別名”かご居せ御門(kagoise-ujo)”といいます。
身分の高い役人も国王に敬意を表してここで籠(kago)を降りたことが名の由来だそうです。
奉神門…
奉神門(hoshin-mon)…
“御庭(una)”に続く最後の門。
3つの入り口があり、中央の門は国王や身分の高い人だけが通れた門とのこと。
写真には写っていませんが、写真左手に”御庭”及び”首里城正殿”に入るために幾らかお金を支払います。
金額はわすれちゃった。m(__)m
(一人1000円くらいだったかな?)
首里城正殿…
残念なことに”首里城正殿(Shurijo-seiden)”が修復工事中…
Σ( ̄□ ̄;)ナヌッ
世界遺産として登録されたこの素晴らしい文化財を、よき状態で保存し、長く伝える為には仕方のないことですが、残念でした。
ここ首里城正殿は、約500年にわたり琉球王国の居城として、政治・経済・文化の中心でした。
首里城正殿’壁’の彩色塗装には、桐油が塗られ、下地の一部は漆(urushi)だそうです。
さて、いよいよ”正殿内”に突入~
っと、行きたいとこですがこの辺で終了。
今回の記事は、守礼門から正殿までの行程を、写真を交え単なる紹介したって感じの’つまんな~い’記事となってしまいました。
まあ、でも世界遺産ですし、こういう観光名所の紹介記事がたまにはあってもよかね?
べっ…べつに手抜きってわけじゃないゾ。
(°∇°;)
すんばらしい世界文化遺産「首里城」に行ったので、ちと紹介しただけさっ。
偶然って言えば偶然なんだが、丁度「大日本帝国時代」の今日…
御前会議で日本政府がポツダム宣言の受諾を決め、駐スイス及びスウェーデンの日本公使館を経由し、連合国に伝えられた重き意味を持つ日でもあるよな。
そして、翌日の15日…
ラジオを通じて天皇の肉声を国民に向けて発した放送(玉音放送)へとつながっていく…
玉音放送…
誰もが中学生のときに学んだことだと思う。
しかし、玉音放送がどういうものかは知っていても、実際にどのように国民に伝えられたのかは知らない人もいるかもしれない。
そこで、You Tubeにアップされていた「玉音放送」へのリンクを(勝手に)させてもらった。
歴史に興味関心がなくとも、是非一度はきいてみるのもいいかと思う。
特にワタシの中で心に響くのは3:20頃の
「然レトモ朕ハ、時運の趨ク所」
「堪ヘ難キヲ堪え」
「忍ビ難キヲ忍ビ」
「以テ蔓世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」 …
この言葉が忘れられないんだよな…
この部分にはもの凄く複雑な思いがある。
モチロン、その頃オレはこの世に生まれてすらなかったが、なんか心に響くもんがあんだよな。
皆さんはどう思うんだろう?
終戦の日と重なったからか、なんか今回の記事も変な感じになっちまったな…
う~ん、ビミョー
なんでだろ?
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